大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台高等裁判所 昭和47年(う)88号 判決 1972年11月14日

被告人 長良健次

主文

原判決中被告人長良に関する部分を破棄する。

被告人長良を罰金三〇、〇〇〇円に処する。

被告人長良において右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意は検察官桑原一右作成名義の控訴趣意書(但し検察官中村弘作成名義の控訴趣意書の訂正申立書記載のとおり訂正する)記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人日野市朗作成名義のとおりであるから、いずれもこれをここに引用する。

論旨は要約すると次のとおりである。

「原判決は、被告人に対する昭和二四年宮城県条例第四七号、行列行進集団示威運動に関する条例(以下宮城県公安条例と略称する)違反の公訴事実については、その事実関係を概ね認めながら、宮城県公安条例四条二項により、公安委員会が付した本件許可条件は、同条例所定の条件付与の基準に基づく必要最小限度の事項を超えるものであるから無効であり、右許可条件に違反しても罪とならないとの理由で無罪の言い渡しをした。しかしながら原判決は次のとおり最高裁判所等の判例に背反し、宮城県公安条例四条五条の解釈適用を誤つた違法があり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一、原判決は、被告人に対する宮城県公安条例違反の公訴事実に対し、本件条件違反の事実を認めながら、「集団示威行進はそれが道路において行なわれる限り、道路交通法による規制を免れず道路における交通の安全と円滑を図るとの観点から同法に基づき所轄警察署長により付された条件に違反したものには罰則が科せられるものであるから、これとまつたく重複した領域を公安条例によつて規制することは、右道路交通法に牴触し許されないものといわなければならない。」との前提をもうけたが、右の公安条例と道路交通法の関係についての原判決の判断は、昭和四五年一〇月二九日最高裁判所第一小法廷判決(原審福岡高等裁判所第三刑事部昭和四四年三月一九日判決)、昭和四五年六月二二日東京高等裁判所第五刑事部判決および同年一二月二二日東京高等裁判所第四刑事部判決により判示された道路交通法は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ることを目的としており、公安条例は公共の安寧秩序を維持するため集団行動を規制することを目的とし、両者はその規制の対象を異にするとの判例に背反し、右両者による規制の対象を異にする点において、ことの本質を見誤つている。

これを本件についてみても、宮城県公安条例四条二項により公安委員会が付した本件許可条件は、その外観において一見交通秩序維持に関する事項のようにもみられるが、それは交通秩序そのものを維持する目的で付せられているものではなく、「集団の無秩序または暴力行為に対し公衆を保護する」ことを目的として、道路という公衆の安全に危険が及びやすい場所において、集団行動の形態をもつて交通秩序をみだす行為に出ることは、それが公衆の安全に対する侵害を招来する蓋然性が強いことから、その蓋然性の強い事項を定型的に選び出し、許可条件としているものと解すべきであつて原判決が同条例による許可条件と道路交通法による道路使用許可条件とを同一ないし重複するものと観念していることは誤りである。

二、原判決は、宮城県公安条例四条五条の解釈適用を誤つている。

すなわち、原判決は「宮城県条例は、同条例四条二項により公安委員会が付した条件に違反したものに対し、道路交通法が道路使用条件違反につき定めた罰則の法定刑より重い法定刑を定めているうえ、その罰則の適用される範囲が、主催者、指導者、煽導者等に限定されていないから、その条件の意味、内容がとくに明確にされる必要があり、したがつて同条例によつて付することができる条件は、集団行進が条件違反行為をなしたとしても、それがいまだ道路交通の秩序を乱すにとどまつてその範囲を出でない場合を除き『集団の無秩序又は暴力行為に対し、公衆を保護する』ために必要な事項に限る」旨同条例により付与される条件の意味、内容をとくに縮限する解釈を示したうえ、本件において、公安委員会により付された「行進中旗竿等を支えにしてスクラムを組まないこと」の許可条件は、同条例によつて付することができるとされている「集団の無秩序又は暴力行為に対し、公衆を保護する」ための必要最小限の事項を超えたものであるから無効である旨判示している。しかしながら原判決の右判断は次のとおり、宮城県公安条例の解釈適用を誤まつている。

(一)  原判決が前提としているいわゆる公安条例と道路交通法の関係についての判断がすでに誤りであることは前述のとおりであり、もともと「その条件内容がとくに明確にされる必要がある」という点は、宮城県公安条例の制定の目的、公安委員会の条件付与により犯罪構成要件が補充されることに照らし、罪刑法定主義の原則から当然のことであり、原判決挙示の理由からその要請がなされるものではなく、同条例の定める法定刑の軽重あるいは罰則の適用範囲の限定をするか否かは単なる立法政策の問題であり、右必要性により条件の意味内容がとくに縮限されねばならぬ理由は存しない。

(二)  宮城県公安条例により付与される許可条件の効力ないし適否は、それが地方自治法に定める「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持する」目的のもとに同条例四条二項の定める「集団の無秩序又は暴力行為に対し、公衆を保護する」ために、必要かつ最小限度の事項であるか否かの観点から決定すべき事項である。

もとより集団示威運動は、憲法二一条の保障する表現の自由の一形態として最大限の尊重を要することは言を俟たないところであるが、これとても無制限ではなく、つねに公共の福祉による制約をうけることは明らかであり、昭和三五年七月二〇日最高裁判所大法廷判決もこの理を説示し、「地方公共団体が、集団行動による表現の自由に関する限り、いわゆる『公安条例』を以て、地方的情況その他諸般の事情を十分考慮に入れ、不測の事態に備え、法と秩序を維持するに必要かつ最小限度の措置を事前に講ずることは、けだしやむを得ないところである。」と述べているのである。

右の制約は、もともと集団示威運動が、一面において憲法により保障される「表現の自由」としての権利行為である反面、それが多数人によつてなされるため個人の場合とは比べものにならない公共の安寧すなわち社会秩序と一般公衆の日常生活の便益に対する影響力を有するが故に、この点の規制をうけざるを得ない面に根ざし、いわゆる公安条例は集団行動のもつ右の二面性を調和する技術的制度といえる。したがつて公安条例および公安条例によつて付される許可条件の解釈にあたつても、一面において、集団示威運動のもつ「表現の自由」の権利性を尊重すべきであると共に、他面において、集団行動は、平穏に秩序を重んじてなされる範囲においてのみ憲法二一条により保障されるのであるから、公共の安寧保持のため付せられた条件が、それに従つた場合において集団行動の意思の表明に不自由ないし支障を与えるか否かを、その解釈の指針として考慮すべきである。

宮城県公安条例は、右の見地から集団示威運動について、対象地域における道路の広狭、交通量の繁閑等の地方的情況や、その他諸般の事情を十分考慮に入れて予想される不測の事態に備え、事前措置をとる目的をもつて制定され、その目的のため公安委員会に対し許可条件を付する権限を与えているものであり、公安委員会はそれにもとづいて本件の「行進中旗竿等を支えにしてスクラムを組んではならない」旨の条件を付しているものである。しかして右許可条件は、原判決も説示しているとおり「旗竿等を支えにしてスクラムを組む」と、先頭部分に行進集団の物理的エネルギーが集中し、勢い蛇行進等に移行しやすく、それらの行為と相俟つて他の通行の妨げになるばかりでなく、一般の人車や、集団行進の参加者自体にも危害を及ぼす蓋然性があり、また現実の経験則に照らしてもその蓋然性がきわめて高いことから、その危険を防止する目的で、その危険をもたらす蓋然性の強い行為を禁止するため付せられたものであり、その文言からみても何ら特定明確性を欠くものではないうえ、これを本件についてみると、本件デモコースは仙台市内の中心街で、一般通行人や自動車の往来が頻繁な道路であり、また東一番丁通りのごとく両側に公衆多数の出入りする商店街が櫛比し、しかも道路幅も狭隘な道路を含んでいる等の事情に照らしてみるならば、「集団の無秩序又は暴力行為に対し公衆を保護する」ために、けだし当然の必要最小限度の条件と認められるので、適法有効な条件であることは明白である。

(三)  さらに原判決は、宮城県公安条例により付される許可条件の意味内容を縮限して解釈しなければならないとの前提に基づき、「本件許可条件は一見宮城県公条安例にもとづいて公安委員会の付することができる条件のように考えられないではないが、ここでも右の条件違反の行為がただちに公安を害するものではなく、これが蛇行進、うず巻行進と相俟つてはじめてそのような事態に立ち至る可能性をはらむというに過ぎないのであるから、蛇行進、うず巻行進を除き、この条件のみを独立して抽出し、宮城県公安条例による条件として付することには疑問がある」として、「本件許可条件は、その文言自体からすれば、結局集団がたんに棒、旗竿などを支えにしてスクラムを組む行為を行なえば、蛇行進等にかゝわりなく、処罰の対象となるといわざるを得ない。そうである以上、本件においては、前述のように蛇行進、うず巻行進についてすら道路交通法で処罰すれば足りるとして運用されているのであるから、本件許可条件のみでは道路交通法によるよりも重い法定刑の設けられている宮城県公安条例によつて付することができるとされている必要最小限度の事項を超えたものと認めざるを得ない」と判示している。しかし宮城県公安条例四条二項は条件付与の要件を規定するのみで、同条例五条も違反者に対する法定刑を掲げているにとどまり、構成要件上とくに社会秩序に著しい障害や危険をもたらす等の結果の発生や具体的危険の発生を要件としておらず、もともといわゆる公安条例は集団行動が、社会秩序と一般公衆の日常生活の便益に危険をおよぼす事態になつた場合、警察力をもつても如何としがたい事態に発展する危険があることから、そのような事態に立ち至る事前の段階において、秩序ある集団行動の実施を確保しようとするものであるから、もしかりにそのような危険が具体化するまではなんらの規制もとれないとするならば、公安条例の存在意義は没却されてしまう。公安条例違反の犯罪の性質は抽象的危険犯と解するのが相当である。

してみると、原判決も指摘するごとく「集団が旗竿などを支えにしてスクラムを組み、蛇行進等におよんだ場合勢いの赴くまま公安を害するおそれのある事態にまで発展する可能性を一概に否定することができない」以上、本件の「旗竿等を支えにしてスクラムを組んではならない」との許可条件を独立して抽出しても何ら異とするに足らないし、右許可条件違背のみにより処罰の対象とされることがあり得るのはまことに理の当然というべきである。」

よつて所論にかんがみ記録を検討すると、「原判決(証拠の標目)判示第一の事実について」に挙示する各証拠によれば、被告人長良健次に対する宮城県公安条例違反の公訴事実が明らかに認められるところで、右事実が認められることは原判決もこれを肯認するものであり、さらに本件集団示威行進に対する宮城県公安委員会の許可も原判決(被告人長良の宮城県公安条例違反についての無罪理由)の第二項に説明される経緯を辿つて、「鉄棒、こん棒、石、その他危険な物件を携行しないこと。行進中、旗竿、プラカード等を支えにして隊伍を組みまたはこれを振りまわすなどの行為をしないこと。著しくけんそうにわたり、一般住民とくに官公庁、学校、病院、会社、商店等の出入口を塞ぐなど業務の妨害となるような行為をしないこと。」との許可条件を付した上なされていることが、前記無罪理由第二項挙示の証拠により明らかである。

そこで宮城県公安条例と道路交通法との関係について考察すると、道路交通法の立法趣旨および目的は「道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資する(同法一条)」ことにあり、一方宮城県公安条例の立法趣旨および目的が地方自治法二条三項一号、一四条にいう「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持する」事務に関し必要な条例を制定し、かつ地方自治法所定の制限内において罰則を設けることができる旨の規定に依拠し、宮城県における公共の安寧秩序を維持すべく、集団行進を規制することにあるもので、両者が規制の対象を異にすることはまさに所論指摘のとおりであり、原判決も右両者の規制の対象が同一であるとまでは述べていない。この点において、原判決が右両者による規制の対象を同一事項のように観念する点においてことの本質を見誤まつているとの所論は必ずしも正鵠を射たものとはいえない。

むしろ問題は、宮城県公安条例四条二項により公安委員会が付した本件許可条件、なかんずく「行進中、旗竿、プラカード等を支えにして隊伍を組み、またはこれを振りまわさないこと。」なる条件(その内容は本件集団行進をなすものに対する禁止である)が、交通秩序維持に関する事項(一般道路交通者に対する一定行為の禁止)としてのみ観念せられ(結局前者に包摂せられる関係となる)、公共の安寧秩序に関する事項としては観念(この立場をとるならば前者は後者に包摂されず別個に評価されることとなる)されないというべきか否かに存するところ、そもそも違法性ありとして禁止される事項の同一性は、その事項の社会的事象が同一であるか否かによつて識別さるべきものではなく、違法性の法的根拠が同一であるか否かによつて識別さるべきであり、社会事象としては一個の事象と観念されてもその一個の事象に対し、いかなる禁止に違反したかによつて数個の判断をなしうるものというべきであり、本件においても宮城県公安条例は前記地方自治法の趣旨に基づき、行列行進又は集団行進について「集団の無秩序又は暴力行為に対し公衆を保護するため必要と認める条件を付」して許可を与える権限を公安委員会に認めたものであつて、その相手方は行列行進又は集団行進をする一定の団体で、その条件も道路交通安全の確保の見地から付すべき旨を規定してはいないことに照らすと、所轄警察署長が道路交通法に基づき付する道路使用許可条件とは別個の条件と観念すべきものといわなければならず、公安委員会の付する許可条件は道路使用許可条件とは別個独自に、その発せられた法的根拠(宮城県公安条例)に照らし、その適法性、有効性が検討されねばならない。

そこで進んで原判決に宮城県公安条例四条、五条の解釈につき誤があるか否かについて検討すると、先ず原判決は、所論指摘のとおり、宮城県公安条例による許可条件の違反者に対する法定刑が、道路使用許可条件の違反者に対する罰則の法定刑よりも重いこと、同条例においては罰則の適用される範囲が主催者等に限定されていないことを理由に、同条例四条二項により公安委員会が付する条件は「その条件内容がとくに明確にされる必要がある」と判示しているが、そもそも公安委員会の付する許可条件がとくに明確にされる必要性は、同条例が地方自治法二条三項一号に明示されている「地方公共の秩序を維持し、住民および滞在者の安全、健康及び福祉を保持する」ことに関し制定され、同法一四条一項、五項に基づき限定された範囲内において、公安委員会に対し、集団示威運動等を許可するにあたつて必要な条件を付する権限、すなわち条件付与によつて犯罪構成要件を補充する権限を与えている以上、罪刑法定主義の原則から当然のことであり、原判決が挙示する理由からその要請がなされるものでないし、同条例の定める法定刑の軽重、その適用範囲の限定は立法政策の問題であるというべきである。

そして、宮城県公安条例により公安委員会が付与した許可条件の効力ないし適否はそれが地方自治法に定める「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持する」目的のもとに同条例四条二項の定める「集団の無秩序又は暴力行為に対し、公衆を保護する」ために、必要かつ最小限度の事項であるか否かの観点から決定すべき事柄であり、そのためには集団行動による表現の自由の尊重と公安条例の立法趣旨である公共の安全のためその規制を必要とするという対立利益の調和をはかるよう妥当に解釈されねばならない。

すなわち、集団示威行進は憲法二一条の保障する表現の自由の行使の一形態であるから、最大限の尊重を要することが必要であつて、この理は公安委員会の付する許可条件についてもいえるところであるが、一方では、本件公安条例が対象とする集団行進とくに集団示威運動の場合は、昭和三五年七月二〇日最高裁判所大法廷が都条例違反被告事件について言い渡した判決の判示するとおり、「かような集団行動による思想等の表現は、単なる言論出版等によるものとは異つて、現在する多数人の集合体自体の力、つまり潜在する一種の物理的力によつて支持されていることを特徴とし、かような潜在的な力は、あるいは予定された計画に従い、あるいは突発的に内外からの刺激、せん動等によつて極めて容易に動員される性質のものであり、平穏静粛な集団であつても時に昂奮、激昂の渦中に巻き込まれ、甚しい場合には一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によつて法と秩序を蹂躙し、集団行動の指揮者はもちろん警察力を以てしても如何ともし得ないような事態に発展する危険が存在する。従つて地方公共団体が、集団行動による表現の自由に関するかぎり、いわゆる『公安条例』を以て、地方的情況その他諸般の事情を十分考慮に入れ、不測の事態に備え、法と秩序を維持するに必要かつ最小限度の措置を事前に講ずることは、けだし止むを得ない次第である。」から、右の集団示威運動による「平和と秩序を破壊するような行動又はさような傾向を帯びた行動を事前に予知し、不慮の事態に備え、適切な措置を講じ得る」ものと認めなければならない。

以上の観点に立ち本件許可条件すなわち「行進中、旗竿、プラカード等を支えにして隊伍を組み、またはこれを振りまわすなどの行為をしないこと」なる条件の適法性、有効性について考察すると、旗竿等を利用して隊伍を組んだ場合、先頭部分に行進集団の物理的エネルギーが集中し、集団を構成する個々人の独自の判断に基づく行動の自由が利かなくなり、行進する道路交通状況の諸変化に応じて、参加者が時宜にかなつた危険の防止ならびに回避をすることがむずかしくなるうえ、集団の統制力を弱化させ、容易に交通秩序をみだす行為にでる蓋然性が高くなることはもとより、付近にいる参加者以外の人々および付近の建造物等に対する傷害および損壊の蓋然性およびその被害の程度が高まること、並びに本件集団示威行進が仙台市内の中心街で一般通行人や自動車の往来が頻繁な道路であり、しかも東一番丁通りの如く商店等が両側に櫛比する狭隘な道路を含んでおることおよびその実施時間が夕刻で人出が増加しようとする時刻であることを考えあわせると、右許可条件は公共の福祉との調和をはかるため本件集団示威運動に課せられた必要最小限度の合理的制約であり、その制限の内容も特定的具体的で右条件の解釈につき疑義を生ずるようなものではなく、宮城県公安条例四条二項の定める「集団の無秩序又は暴力行為に対し、公衆を保護するため」に必要かつ最小限度の事項を明確にしたものといわねばならない。本件許可条件は適法、有効である。

原判決は「『旗竿などを横にして隊伍を組む』行為は、それのみでは道路交通法にもとづき所轄警察署長が道路における交通秩序維持のため必要な条件としてのみ付している『蛇行進、うず巻行進』の前提としての意味しかもたず、集団が旗竿等を支えにしてスクラムを組みかつ蛇行進、うず巻行進をした場合にはじめて『公安を害する虞』のある事態にたち至る可能性をはらむに過ぎないから、宮城県公安委員会が付した『旗竿などを支えにして隊伍を組む』ことを禁止する本件許可条件のみ(本件許可条件はその文言自体からすれば、集団がたんに旗竿などを支えにしてスクラムを組む行為を行なえば、蛇行進等にかゝわりなく処罰の対象になるといわざるを得ない以上、本件許可条件のみの違反の場合を考慮せざるを得ない)では、宮城県公安条例によつて付することができるとされる『集団の無秩序又は暴力行為に対し公衆を保護する』ための必要最小限度の事項を超えたものと認めざるを得ない。」という。

しかしながら公安条例の目的が先に述べた集団行動における潜在的の物理的力が現実化し、実力によつて法と秩序を蹂躙するような事態に立至るのを防止すべく、事前に措置を講ずる道を開いたものであることに鑑みると、公安条例に定める許可条件は具体的に危険が発生する直前といえる程度の危険を「公安を害する虞」にあたるとして、その程度に至る集団の行動についてのみ規制するに足る条件を公安委員会が付し得るのみであると限定すべきではなく、集団行動の潜在的の物理的エネルギーの現実化に資することとなる蓋然性の高い集団の行動を個別に規制するに足る条件を公安委員会は付することができると解するのが相当であり、先に述べたとおり「旗竿等を支えにして隊伍を組む」ことにより集団の物理的エネルギーが先頭部分に集中して統制が困難となると共に、公衆に対し与える侵害の程度が高まる虞があること、本件集団示威行進の時刻、場所が公衆に危険を及ぼす虞の高いものであることに照らせば、本件許可条件は、宮城県公安条例四条二項により宮城県公安委員会が付することができるとされる「集団の無秩序又は暴力行為に対し公衆を保護する」ための必要最小限度の事項の範囲の中に含まれるものといわなければならない。

(なお弁護人は、検察官の控訴趣意に対し、「条例四条二項は、集団の無秩序又は公衆を保護するため必要と認める条件を付する権限を、公安委員会に与えているが、同項にいう『集団の無秩序及び暴力行為』とは、同条一項をうけて『公安を害する虞がある』それであり、単純な無秩序とか暴力行為ではなく、公安を害するという段階に至る虞がある無秩序や暴力行為に対してのみ公安委員会は条件を付することができると解すべきである。そしてデモが憲法による保障を享受する表現行為であり、道路交通を円滑に行なう権利とは次元を異にする高次の権利であること、条例は憲法の保障する表現の自由の一形態であるデモの不当な制限のために機能してはならず、また条件の付与が事実上正当なデモをも制約する機能を営むに至る危険を内包することはなにびとも否定しきれないところであることに徴すると、宮城県公安条例一条にいう『虞』は、単に抽象的な危険の存在を意味するのではなく、具体的な危険の存在をいうものと解すべきである。従つて、交通秩序が乱れることによる公衆の安全に対する侵害の如きは、まさに条例の規制の対象外であり、本件許可条件の如きは、原判決説示のとおり『集団の無秩序又は暴力行為に対し、公衆を保護する』ための必要最小限度の事項を超えたものである。」と答弁するが、右主張は前に宮城県公安条例と道路交通法との関係、宮城公安条例の立法趣旨、集団示威行進に対する制約の可能であることの根拠及びその範囲、本件許可条件の適法性および有効性について説明したところに照らし採用することはできない。)

以上説明の次第で、原判決には法令の解釈適用を誤つた違法があり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるところ、右宮城県公安条例違反の事実は被告人長良に対する原判示第一の道路交通法違反の事実と一所為数法の関係にあり、これと被告人長良に対する原判示その余の建造物侵入およびこれと一所為数法の関係にある鉄道営業法違反の事実とは併合罪の関係にあつて一個の刑を科すべきものであるから、原判決中被告人長良に関する部分は全部破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて刑事訴訟法三九七条三八〇条に則り、原判決中被告人長良に関する部分を破棄することとし、同法四〇〇条但書に従い、被告事件について更に判決することとする。

(当審で認定した部分の罪となるべき事実)

被告人長良は昭和四四年一〇月一〇日「一〇・一〇反戦反安保闘争仙台実行委員会(代表伊藤慎二)」主催の大学立法発動粉砕、七〇年安保粉砕を目的とする集団示威行進に学生約一〇〇名とともに参加したものであるが、右集団示威行進には、宮城県公安委員会より「鉄棒、こん棒、石その他危険な物件を携行しないこと。行進中、旗ざお、プラカード等を支えにして隊伍を組みまたはこれを振りまわすなどの行為をしないこと。著しくけんそうにわたり、一般住民とくに官公庁、学校、病院、会社、商店等の出入口を塞ぐなど業務の妨害となるような行為をしないこと。」の諸条件が付されていたにもかゝわらず、右許可条件に違反して、右学生らと共謀して、同日五時三四分ころから同日午後五時四二分ころまでの間、仙台市片平丁七五番地東北大学北門前から柳町交差点を経て、同市東一番丁と南町通りとの交差点に至るまでの間の道路を、お々むね五ないし六列縦隊となり、その先頭集団において長さ約三メートルの角材を横に支えにし後の者は前の者の腰につかまり隊伍を組んで行進し、もつて右許可条件に違反して集団示威行進をしたものである。

(右認定事実の証拠の標目)

当審で認定した部分の罪となるべき事実の証拠の標目は、「原判決(証拠の標目)判示第一の事実について」において掲記された証拠と同一であるから、これをここに引用する。

(原審弁護人の主張に対する判断)

弁護人は「宮城県公安条例一条は、行列行進又は多衆の集団示威運動が徒歩又は車輛で道路、公園その他公衆の自由に通行することができる場所で行なわれる場合は許可を受けることを要すると規定するが、同規定のいう「その他公衆の自由に通行することができる場所」とは何を指すか不明確で、私有の場所を含む趣旨か否かが不明確であり、もし私有の場所をも含む趣旨とすれば、問題である。このような場所での示威運動は他の法令で規制すれば足りる。」というが、本件集団示威行進は、弁護人の指摘する私有の場所で行なわれたものではないことは、司法警察員佐藤建一作成の現認報告書等前掲各証拠に照らし明らかで、弁護人の右主張は本件判断に何ら影響を及ぼすものではない。

次に弁護人は「宮城県公安条例四条一項の許可不許可の決定基準は合理的で明確なものではない。すなわち条例四条一項の許可不許可の決定基準として規定する『公安を害するおそれ』なる文言および同条二項の『許可には集団の無秩序または暴力行為に対し公衆を保護するため必要と認める条件を付することができる』なる文言は抽象的、概括的、かつ広義で、公安委員会の裁量の範囲がいちじるしく広く解されるおそれがあり、公安委員会が集団行進を禁止しうる範囲を広げ、また公安委員会が集団行進を許可した場合にも附加される条件によつては禁止的効果をもつのであつて、本件公安条例は形式的にも実質的にも許可制である。集団行動はその性質上交通妨害を惹起しやすいことは否定できず、そういう事態が起らないよう予め警察当局がその開始を諒知し、事前に警備計画をたてておくことが望ましいことは否定できないが、そのことは純粋な届出制を必要十分な制度たらしめるもので、許可性を合理化しないし、集団行動は表現の自由と請願権の権利複合体であるという点で、市民の交通の自由や静穏に生活する権利よりは価値的に優越するのであるから、宮城県公安条例が集団行進等を抽象的な不明確な基準で、事前抑制をしていることは憲法二一条に違反する。」と主張する。しかしながら宮城県公安条例は、その四条一項において、弁護人主張のとおり許可基準を抽象的文言で規定してはいるが、許可を与えることが義務づけられており、同条二項において、許可を与える場合につき、「集団の無秩序又は暴力行為に対し、公衆を保護するため必要と認める条件を付することができる。」と定めて、同条一項の定める「公安を害する虞」なる文言が更に限定されるべき趣旨を示し、同条三項において、「第一項の規定による許可を与えなかつたときは、その理由をすみやかに県議会に報告しなければならない。」と定め、公安委員会が恣意的に許可基準を動かすことのないよう県議会において監視する道を設け、同条四項において「第二条の申請を受理した公安委員会が、その運動開始日時の二四時間前までに条件を附し又は許可を与えない旨の意思表示をしないときは、許可のあつたものとして、行動することができる。」と規定していることに照らすと本件公安条例は形式的に見ると許可制をとつてはいるものの、許可が義務づけられていて、不許可の場合が厳格に制限されており、実質的には届出制とことならない。宮城県公安条例においては、「公安を害する虞」ある場合には許可が与えられないこととなり、許可不許可の処分をするについて、かような場合に該当するかどうかの認定は公安委員会の裁量に属することは、それが諸般の事情を具体的に検討、考慮して判断すべき性質の事項であることから見て当然であり、とくに不許可の処分が不当である場合を想定し、本条例を違憲無効と認めることはできない。

次に弁護人は、「宮城県公安条例五条は、主催者(申請者)が許可条件に違反した場合に限ることなく、許可および付与された条件の拘束力が一般参加者をも許可条件違反で処罰することとしているが、これは憲法三一条の『法の正当な手続』によらずして処罰することとなり、この点で憲法三一条に違反する。そもそも行政行為は行政機関の内部的な意思の決定があつただけでは未だ成立したとはいえないのであつて、それが行政行為として外部に表示されるか、少くとも外部的に認識されうる表象を見るに至つたとき、はじめて成立する。本件の公安条例でも、許可処分の効力は、相手方である申請者ないしは主催者に対し拘束力を生ずるための要件である。検察官は許可処分の効力は告知が集団の代表者になされることによつて生ずるが、その効果はその許可申請者のみが対象となるのではなく、集団行進そのものに対する許可として当然に参加者全員に及びこれを拘束するというが、その行政法上の義務者はその行政行為を求めたものに限られるものと解するのが、行政犯にあつては刑事犯と異り、必らずしも現実の行為者でなく、行政法上の義務違反者が処罰されることに照らし相当である。ところで許可条件は許可処分という行政行為の付款であつて、その告知は許可書の交付によつて行なわれ、しかもその行政行為の相手方は主催者ないし申請人であり、その拘束力は主催者ないし申請人に対して及ぶにすぎないのに、申請人以外の参加者が許可条件違反で処罰されるという条例五条の規定は、憲法三一条に違反する無効な規定である。」と主張する。しかしながら、行列行進又は集団示威運動は本来目的を同一にする多数の人々により行なわれるのであつて、許可を受けて行なわれるべき当該行列行進又は集団示威運動は一団としての評価を受けるものであり、行列行進又は集団示威運動の主催者が公安委員会に申請書を提出したが不許可となつたにもかゝわらず、行列行進等を行なつた場合、申請をした主催者は不許可になつたにもかゝわらず行列行進等を行なつたものとして、その余の参加者は許可申請をしないで行列行進等を行なつたものとして、それぞれ行政法上異なつた扱いを受けるのではなく、いずれも不許可になつたにもかゝわらず行列行進等を行なつたものと評価され、また許可を受けた場合にも行列行進等を行なう一団が許可を受けたものと評価され、申請にあたつた者以外の者は不許可又は許可申請手続を行なうことなく行列行進等を行なつたものであるというべきでないことは、その性質上明らかである。そしてこの理は許可処分に条件が付された場合にも、当該許可処分は許可条件と一体をなした一個の行政処分として、当該行列行進等を行なう集団に対し、効力を及ぼすものであり、主催者等と一般参加者に対し、別異に効力を及ぼすものではない。弁護人のこの点に関する主張は行政処分の効力と、行政犯に問われる個々人の行政処分の内容の認識の問題とを混同するものである。しかるところ、(証拠略)によれば、被告人は本件デモの指揮者として、本件デモ集団の誘導に当つたものであること 原審証人伊藤慎二の証言によれば同人は本件デモの申請手続にあたつたが本件許可条件はいつも同じであつたこと、被告人に対する仙台簡易裁判所の昭和四四年六月九日付略式命令によれば、被告人は同年四月二四日にも伊藤慎二とともにデモを行なっていることが認められ、以上の事実に照らすと、被告人は本件許可条件を認識せねばならぬ立場にあり、又その認識が容易にできる地位にあつて、しかもその許可条件を予測していたものであることも窺われるのであるから、本件許可条件違反につき有責であるといわねばならない。

さらに弁護人は「宮城県公安条例はその運用面で憲法二一条に違反するというが、本件において公安委員会が付した許可条件は、いずれも集団の無秩序又は暴力行為により、公衆が生命、身体、財産を侵害される虞のある事項を列挙したもので、かゝる観点からする集団行進等に対する制限は法と秩序を維持するため止むを得ないものといわねばならず、その許可申請の受理手続にあたつても、事務的に必要な事項を聴取し、同一日時場所における二個以上のデモの競合を避け、仙台駅前等特に多数の人が密集混雑する地域におけるデモにつき混乱を避けるべく交渉があつたに過ぎないことが記録に認められるのみで、集団示威行進を不当に抑圧する運用がなされているものとは認められないから、右主張は採用できない。

以上の次第で、弁護人の宮城県公安条例違反の事実に関する主張はいずれも理由がなく、採用できない。

(法律の適用)

被告人長良に関し当審で認定した部分の事実と原判決の認定した事実を法律に照らすと、当審において認定した事実は、昭和二四年宮城県条例第四七号行列行進集団示威運動に関する条例四条二項、五条三号、刑法六〇条、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項、昭和四七年法律第六一号罰金等臨時措置法の一部を改正する法律附則二項に、原判示第一の所為は道路交通法一一九条一項一三号、七七条一項四号、三項、昭和三五年一二月一六日公安委員会規則第八号宮城県道路交通規則一五条二号、刑法六〇条および行為時においては昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項に、裁判時においては右法律第六一号による改正後の罰金等臨時措置法二条一項に該当するところ、右は犯罪後の法律により刑の変更があつた場合にあたるので刑法六条、一〇条により軽い改正前の罰金等臨時措置法の規定を適用することとし、原判示第二の建造物侵入の所為は刑法一三〇条、六〇条、および行為時においては昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号、二条一項に、裁判時においては右法律第六一号による改正後の罰金等臨時措置法三条一項一号、二条一項に該当するが右は犯罪後の法律により刑の変更があつた場合にあたるので刑法六条、一〇条により軽い改正前の罰金等臨時措置法の規定を適用し、鉄道営業法違反の所為は鉄道営業法三七条、刑法六〇条、および行為時においては昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法二条二項に、裁判時においては右法律第六一号による改正後の罰金等臨時措置法二条二項に該当するが右は犯罪後の法律により刑の変更があつた場合にあたるので刑法六条、一〇条により軽い改正前の罰金等臨時措置法の規定を適用し、当審において認定した宮城県公安条例違反の罪と原判示第一の道路交通法違反の罪並びに原判示第二の建造物侵入の罪と鉄道営業法違反の罪は、それぞれ一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、各刑法五四条一項前段、一〇条により、前者については重い宮城県公安条例違反の罪の刑で、後者については重い建造物侵入の罪の刑で処断することとし、以上の罪についてはいずれも所定刑中罰金刑を選択し、右各罪は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四八条二項により各罪所定の罰金の合算した金額の範囲内で、被告人を罰金三〇、〇〇〇円に処し、被告人において右罰金を完納することができないときは同法一八条により金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、原審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により、被告人に負担させないこととする。よつて主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例